
~ 改善の副作用 改善成功例からの抜粋 〜
アメリカ人の娘さんの病気と受験から大きな副作用
日本人のお母さんからのご相談。
大学からアメリカに渡り卒業後もシアトルでIT企業で編集とデザインの仕事をしていたそうです。
アメリカ人の男性と結婚したそうです。
ご主人はシアトルでデザインや絵の仕事をしていたそうですが周りは次々とブレイクし限界を感じ日本に移住し
英語教師で生計を立ててアーティスト活動も地道にされていたそうです。
子供は3人で長女は夫の連れ子で純粋なアメリカ人だそうです。
長女は実の母親から酷い虐待を受けDV育児放棄で心に大きな傷があるそうです。
4歳の時に家族になったそうです。
最初に対面した際は驚きを隠せないほど酷い身なり髪はバサバサ長さもバラバラ真っ黒で穴の空いた虫歯とボロボロのお下がりの洋服。
いかに生活が酷かったのか。
日本人の彼女は親子関係の壁を必死に乗り越え長女との信頼関係が非常に上手く行きかけているそうです。
しかし長女はADHD障害にも長年苦しんでもいるそうです。
日本に移住してまだ日本語も上手に理解まではいかないそうです。
日本人の考え方が上手く理解できず戸惑いながらも必死だそうです。
中学三年になり受験も近付き三者面談があり志望校よりランクをかなり下げなければ厳しいと言われたそうです。
娘さんのテンションも下がり更にご主人の務め先の会社が社会問題にもなり仕事を失っていたそうです。
来年旭川から札幌に仕事で引っ越すことにきまったそうです。
受験には更に不利になるそうです。
受験枠が100%からたったの5%の枠内で闘うことになるのだそうです。
純粋な外国人で9歳まで海外で育ち文化や思考が日本人では無い為コミニュケーションにも苦しみ日本語のテストの文章にも混乱するそうです。
更にあがり症で集中力も弱いそうです。
受験まで二ヶ月半を切りそうな時点で当の本人は気力も無くなり集中力も切れてしまっているそうです。
その時期にご相談がありました。
最初の志望校、次の二校も無理なのかご相談がありました。
情報を取り娘さんに試験などで急に目が見えなくなることがあるかと先生から質問があると娘さんは玉ねぎが目に入ったような感じになると。
母親も聞いたことがなかったそうです。
情報からは二校のうちレベルの高い学校以外、最初の志望校ともう一校は改善策の余地はあります。
担 任も無理だと言うのに今の状況から本当に大丈夫か心配だとおもったそうです。
滑り止めの学校は普通の人なら行きたがらない学校だで、もし落ちたら人生も大きく変わってしまう しと
母親は担任の指示に従った方がと思い出したそうですが娘さんに情報の結果を伝えると絶対改善の先生の言うとおりにしたいと。
母親に費用を工面してもらい改善することになりました。
黒い生地でイノシシの小さなぬいぐるみを母親が決めれた時刻内だけで作るように。
時間内で出来なければ別の日に同じ時刻内で作業をするように。
ぬいぐるみの中に白いワタと大豆を5粒入れるように。
ベッドに脚にぬいぐるみを縛り付け改善策を実施すると3日後に自主的に勉強を始めその後テストの一教科だけ満点だったと。
集中してリラックス出来目が見えなくなることがなかったと話していたそうです。
総合結果では初めて合格ラインまで近付き娘さんに自信とやる気が出て来たそうです。
その後更に奇跡的な連絡が志望校から中学に連絡が入ったそうです。
5%の枠内での受験から引っ越し先の市民と同様の枠内での受験を認めるとあったそうです。。
担任も中学もこれには驚かれたそうです。
娘さんはこの件で完全に調子に乗ったそうです。
追い風が吹いて来てるとプラスな発言をしてノー天気にも見える程雰囲気も変わり出していたそうです。
受験も近付き毎日各担任の先生から余ったプリントを貰い復習したりポイントを聞き出し暗記したりと別人のように集中し頑張ったそうです。
集中力が凄まじいと担任の先生から褒められたと母親に報告したり、とにかく超プラス思考で毎日ガッツポーズが癖になったそうです。
その後テストも総合結果で合格ラインを一気に飛び越え完全に自信をつけ
担任の先生も母親の自分も娘さんの初めて見る態度顔つきに戸惑いすら覚えるほど変わったそうです。
受験が始まり手ごたえを感じたと、全く上がらずリラックスしたそうです。
そして本当に合格されていたそうです。
合格後も授業について行けるかお母さんは心配もあったそうですがその心配はその後吹き飛ばされることになりました。
入学して早々に数・国・英の試験があったそうです。
成績は上位の16位だったと。
その後も順調に勉強して春に奨学金制度の申し込みをし、長い間連絡も無く諦めていたそうですが
長い審査の後にようやく連絡があり沢山の書類の山と一緒に奨学生になれたそうです。
先生から当初改善の効果が出れば娘さんの健康面やご主人の仕事にも影響が見えるかもしれませんと言う話もありました。
改善から三年近く経ち娘さんの病気は医師から問題無いとまで言われお薬も服用していないそうです。
社交性には眼を見張るほど変わったそうです。
ご主人の変化は娘さんの受験学力の変化と変わらぬ程激変されたそうです。
まず英語教師の仕事を失いしばらく仕事が無く札幌に仕事で引っ越し
その後全国2位の成果が出てご主人のクラスは常に満員になり驚かれたそうです。
特別ボーナスも出ているそうです。
人気者の講師になったそうです。
更に14年間全く全く芽が出なかったアーティスト活動。
作品も全く売れなかったそうですが、作品の購入希望者が徐々に増えてビックリしていると
小樽のオルゴール堂からの依頼でオルゴールとコラボする依頼が舞い込み、それがきっかけに更に本職の作品の依頼も増えたそうです。
さらに旭川の百貨店にて個展のお誘いを受け、それがきっかけになり他の百貨店でも個展を開くことになったそうです。
更に某有名アニメ映画のゲーム制作の依頼を受けたり、
百貨店の店頭で作品を描いたりとアーティスト活動が飛躍して寝る暇も無く作品を仕上げているそうです。
作品依頼は国内だけにとどまらずシンガポール、香港、台湾、ベトナム、フィリピンと少しずつ拡大しているそうです。
更にアメリカ進出のお話まで来てるそうです。
大きなイベントに参加させて頂いた際、映画シュレックのドリームワークス社の目にとまったそうです。
LOFTでも作品が不定期に販売されたそうです。
昔アメリカに居た頃のアーティストの仲間からもサポートや口利きもあり仕事の依頼の規模が遥かに大きくなり契約金の額もかなり頂いたそうです。